もしかしたら、パートナーとの別れが訪れるかも…。そんな危機的状態のとき、「どうしても別れたくない!」と
になってしまうことが、よくありますよね。
お互いに愛し合っていた、あの幸せな時期が思い出される…。いつかまた、あの頃のように戻りたい…。そう思ってしまうものですよね。
そんなとき、この気持ちは「愛」なのだろうか?それとも「執着」なのだろうか?もし執着だったとしたら…。不安に襲われる状況だと、自分の気持ちがよくわからなくなってしまうものですよね。
そんな方に向けて、今回は「愛」と「執着」の見分け方と、相手への「執着」の手放し方法を、心理カウンセラー・岩田昌樹がお届けしたいと思います。
キーワードは、
です。
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些細なことで夫と喧嘩というか、険悪な状況になっています。最悪、離婚したいといわれる可能性もあります。まずは私たち夫婦のことをお話しします。
結婚6年ではありますが、晩婚だったためお互い40代です。子供はいません。共働きでしたが、妊活と仕事の両立が難しく泣く泣く私は仕事を辞めました。お互い激務なのに加え、私は家事と妊活に追われ当時はギスギスしていたので、夫婦関係が壊れる前に、私が仕事を辞めることが当時は最善策だったのです。
そして、しばらくして夫の転勤で知り合いがいない土地へ引っ越して約3年経ちます。ちょうどコロナがまん延しだしたことや、妊活中ということで急に病院へ行かなければいけないこともあるためパートであっても働くのが難しく、夫も「こんな時に無理して働かないくていい」と。そのためこの3年、電話で時々両親や友人と会話するだけで、基本的にはずっと家にいる生活をしていました。
私はたまにでいいので友人とお茶したり、ドライブ行ったりと外に出たいタイプですが、主人は漫画やゲームが好きで旅行や紅葉を見に行くといったことに興味がないようです。私が誘うとシブシブという感じ。つまらなそうにされるので、誘いづらくなりました。
最近は仕事から帰ってきてからTV見ながらご飯を食べてその後はゲーム。寝る前はゲームの攻略法をYouTubeで寝落ちするまで見るという毎日です。なので、休日も可能な限りゲームをしたいらしく、私を気に掛けることはありません。
さすがに私も寂しくなり、ゲームやYouTubeばかりする夫にきつく当たってしまいました。
夫にとって私は「かまってちゃん」でウザいようです。
ひとり時間は夫にとってのリラックス法であることは重々承知していますが、私は夫以外に知り合いもなく、またコロナ禍のため知り合いを作るための活動も異常なまで制限されています。となると私はずーっと家で鬱々としているしかなく、発散する術がありません。それでも家でできる仕事がないか、いろいろ挑戦して気を紛らわせる努力はしています。
どうにかしなきゃと思い、奇跡的にコロナ感染者がかなり落ち着いた時に(居住地が田舎なの感染者ゼロ)、感染者ゼロの県にいる友人を泊まりで尋ねに行きました。※東京でも感染者がかなり少なかった時期でしたし、ワクチンも2回摂取しています。
それが、気にくわなかったらしく「こんなコロナの時によく遊びにいくな。もし感染でもしてうつされたら会社の人にも迷惑だし、もしコロナに感染してたらボロクソ言ってやろうと思ってた」「コロナにかかって、死んでも知るか!と思ってた」と。そんなに、批判されなきゃいけないのでしょうか。私だけずっと誰とも話さず、家にいなければいけないのでしょうか。。。
・主人は私と同じ空間にいるだけでいい人。
・私は主人ともう少しアクティブに行動したい人。
(年に一回でも遠出したり、記念日は外で食事したい)
いわゆる価値観の違いでしょうが、夫は「俺はこれからも歩み寄れないし、歩み寄ったところでお互いの幸せの感じ方に距離がありすぎる」と言い放たれました。そして、もう疲れたと。
そういわれ、あぁ、この人は離婚したいのかなって。。。本当に悲しい気持ちになり、それと同時に離れたくない別れたくないという感情と恐怖が襲ってきました。私を好きだといってくれた夫と出会い、やっと結婚できたのに。
でもその気持ちは「愛」ではなくて「執着」が引き起こしているのでは?とも思ってきたのです。離婚を突き付けられた時ただ別れたくないではなく、夫と私は一緒にいるべきだという執着、また前のように愛してくれるのではないか、と期待する執着を手放さなければいけないのではないか、と頭ん中ぐるぐるです。
長々と書いてきましたが、夫と私の関係を見てお互い別々の道を選んだ方が良いと思われましたか?または、修復のためのアドバイスがあればお聞かせ願いたいと思います。第三者はどう感じるのか知りたく、カウンセリングに申し込ませて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。
【ご相談者様名:COCO様】
『COCO』さん、ご相談いただきありがとうございます。心理カウンセラーの岩田昌樹と申します。
3年間、基本的にはずっと家にいる生活だったんですね。それは辛すぎますよね。心がドヨンとしてきますよね。
私も、ずっとひとりで在宅で仕事をしていることが多いので、『COCO』さんほどではないとは思いますが、鬱々とした重い気分になってしまうお気持ち、とてもよく理解できます。
「泣く泣く」お仕事を辞められたんですね。ということは、激務だったにもかかわらず、仕事にやりがいを感じていたということですよね。もしかしたら、『COCO』さんにとって
だったのかもしれませんね。そんな大切な場所だったけれど、夫婦関係をうまくいかせることを優先して、『COCO』さんは仕事を辞めることを決断されたんですね。
しかも、
コロナはもちろん、生活環境までいきなり激変してしまうなんて…。なんだか
そんな感覚になってしまいそうですよね。
ご相談文を読み進めていくうちに、夫婦関係を良くしていくためには仕方がなかったとはいえ、すこし「我慢」が多くなりすぎているのかもしれない。そんな印象を、私は持ちました。
それは、『COCO』さんだけではありません。ご主人も同様です。
執着かもしれない…と思われているというその時点で、自分への客観的な視点を持たれているということ。素晴らしいなと思います。よく
と言われるぐらいですものね。『COCO』さんが、「執着」を持たれているかどうかはもう少し詳しくお聞きしてみないとわかりませんが、「執着」は我慢が多すぎると生まれてしまいやすいものです。
つまり「愛」と「執着」の違いは、そこに
とも言えます。今回はその点を掘り下げて、お話ししてみたいと思います。
もしかしたら「我慢が多すぎるのかな…」と、私が感じた点をあげてみたいと思います。まずは『COCO』さんから。
もちろん、人生は思い通りにはいきませんので、耐えなければいけないことは多いものですよね。ただ、それにしても…
ようにも感じるんですよね。
一方のご主人はどうでしょうか。
もしかすると「我慢」というには、違和感がある内容に聞こえてしまうかもしれませんね。
なぜこれらが、ご主人の我慢につながっていると推測するのか、詳しく説明してみたいと思います。ちなみに、男の人は罪悪感を抱きやすい生き物ですよね。
することが多いんですよね。
ご主人の「我慢」とは、どういうことなのかを見てみましょう。
我慢される方は、どうしても仕事が激務になってしまう場合が多いですよね。仕事を
しますからね。それはすごい才能ではありますが、行き過ぎてしまうと苦しんでしまったり、弊害が出てきてしまうことも多いですよね。
仕事を辞めたくなかった『COCO』さんの本当の気持ち。泣く泣く辞めざるをえなかったのであれば、ご主人も「申し訳なさ」を当然感じているのではないでしょうか?
いろんな気持ちを背負って、ご主人も「それしか方法がない」「仕方がない」と思われたのでしょうね。その分、自分がもっと仕事を頑張らなければ。激務な仕事をこなすご主人であれば、人一倍そう思ってしまいそうですよね。
なぜそれが「我慢」なのか?ここからが問題ですよね。
一概には言えないかもしれませんが、ご主人の『COCO』さんに対する罪悪感が、そういう態度にさせているようにも、私は感じます。
そんな申し訳なさがあると、自分を責めてしまうものです。男性は特にそうですが、元々ご主人は、
そんな傾向が強いのかもしれませんね。
すると、ずっと家の中にいて辛そうにしている『COCO』さんの言動は、すべて
ように感じてしまうものなんです。敏感に反応してしまうんですよね。
自分で自分を責めているのですから、当然といえば当然ですよね。外からの声も、自分を責めてくるように感じてしまうものなんです。
もちろん、『COCO』さんに問題があるわけではありません。お2人とも、相手を思いやっている。優しすぎるんだと思いますよ。ただ
のではないでしょうか。話を元に戻させていただきますね。
つまり、もしかするとご主人は、旅行や紅葉に行くのが
「外に出て発散したい!」というCOCOさんの言動を見聞きすると、ひとりで家に居させていることを責められているような「声」に聞こえてしまっているのかもしれません。
そうだったとすると、旅行や紅葉に行っても、ご主人は楽しめなくなってしまいますよね。
ずっとひとりでゲームしているのも、
だけかもしれません。
家で『COCOさん』の辛そうな姿を見ていると、自分が責められているように感じて、つい自分の世界に入り込んでしまいたくなるのかもしれませんね。
すると、こんな言動につながることが多いものです。
なぜ「歩み寄れない」のでしょうか。もしかしたら、ご主人はずっと「俺は我慢している」と思っている。それは『COCOさん』のことを心配する気持ちからなのでしょう。歩み寄るということは、
その結果、「もう疲れた…」という言葉がもれ出てくることになってしまうんでしょうね。
そう考えると、ご主人の言葉が『COCOさん』のことを思いやってのことに見えてくるのは、私だけでしょうか?
批判のように見えて、優しさが根底にあるように感じるんですよね。
お2人の関係性を例えると
そんなイメージなのかもしれません。
『COCO』さんは自分で漕いで前に進むことができるけれども、後ろからご主人が頑張って押してくれているから、漕ぐのを遠慮している。そんな状態なのかもしれません。
ご主人は、『COCO』さんに「申し訳なさ・罪悪感」を抱いているから、ガンバって走りながら押しているんです。
『COCO』さんはハンドルを握っているので、自由に操縦して行き先を決められそうな気がしています。でも実際は、ご主人の押す速度が遅くなったり、止まってしまったら、操縦が効かなくなってしまう。
ハンドルを握っているように見えて、実際はご主人が握っているのと同じなんです。
なんです。
『COCO』さんはご主人のガンバりに身を委ねているから、ストレスが溜まるんです。ラクだけれど、自由にハンドルが動かせないから、イライラが募る。でも「優しさ」から、その
してしまうんですよね。
本来は、夫婦お互いに自転車を自分で漕いで、それぞれが横に並びながら進んでいく関係性のはずですよね。
でも、お互いが「我慢」する関係性だと、ストレスを感じながらも
前に進んでいくことになるんですよね。
では、どうすればいいのでしょう。
『COCO』さんが、ご主人のことを気にしすぎずに、自転車を自分で漕いで気持ち良く前に進めていけばいいんです。
と、ご主人が批判してきたように、最初は
と怒ると思うんです。罪悪感を解消したくて押しているのですから、当然ですよね。
でも、『COCO』さんが楽しそうに漕いで、先に進んでいったら、ご主人はどう思うでしょうか?
と思いますよね。ご主人は安心して自分の自転車を漕いで、『COCO』さんを後から追いかけてくるはずですよ。
つまり『COCO』さんが
ご主人に「今まで、押してくれてありがとう!」とお礼を言いながら、自分で漕ぎつづけて前に進めばいいんです。
だって漕がなくてもいいんだから。「これからもずっと押してほしい!」と思い、ご主人を手放せなくなる…と思いませんか?
自転車を漕ぎつづけましょう!自分の意思で、自由に、楽しく。
そんな『COCO』さんの様子を見たご主人は、解放されて、追いかけてきてくれる。
それが「愛」というものなのかもしれませんね。
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