ずっと欲しかった赤ちゃん…。やっと、やっと、妊娠できた!と思ったのに、告げられたのは『流産』という言葉…。
「流産はよくあること」と聞いていましたが、まさか、自分が流産することになるとは、思ってもいなかった…。すごくショックで…立ち直ることができません。
「気持ちを切り替えよう」
「ショックから立ち直ろう」
と思い、何度も、何度も、自分に言い聞かせ、努力してきたつもりです。ですが…友達の妊娠や出産を、素直に喜ぶこともできません。
流産の精神的なショックから、みなさん、どうやって気持ちの整理をして、立ち直っているのでしょうか。
ずっと、こんな気持ちが続くのかと思うと、不安で仕方がありません。
流産のショックから立ち直れないお気持ち、とてもよく分かります。
私も、妊娠11週目で流産してしまった過去があります。
〇〇さんと同じように、「流産はよくあること」とは聞いていたけれど、どこか他人事で…、なんの根拠もなく
と信じていました。だからでしょうね。「流産」とわかったとき、なかなか自分事として、受け入れることができませんでした。
でも…数日経つと、否が応でも、現実味が湧いてくるんですよね。「からっぽ」になったお腹を、
人目をはばからず、ポロポロ泣きじゃくりながら、ひとり歩いていました。
流産のショックを、「乗り越える」のではなく、
と考えてみてもいいのかもしれませんよ。
「乗り越える」という言葉を、辞書で引いてみると、『苦しい環境に、うちひしがれずに前進する』と出てきました。
なんだか、すごく大変そうですよね。
「受け入れる」は『受け取って、収める』です。
受け入れずに、「乗り越えよう」とすると、疲れ果てて、苦しんでしまうような気がします。
そう思って、無理に、「元気になろう!」としすぎなくていいのかもしれませんよ。
ありのままに、今の状態や気持ちを受け入れ、自分を大切にしてあげましょう。
「友達の出産を、喜ぶことができない…」
すごくよくわかります。私も同じように、喜ぶことができませんでした。それどころか、
でも、
そう思いつづけるように、心掛けました。
すこしずつ、すこしずつ。目を背ける「わたし」が、消えていくようになりました。そして、
そう思えるように、なっていったような気がします。
〇〇さんの赤ちゃんは、
ですよ。
信じて、次に会える日を、楽しみに待ちましょう。今できることを、ひとつひとつ、ゆっくりと整えていきましょう。
そういう私も、まだダメなんですよ。流産のことを、
みんな、そんなに強くない。完ぺきに乗り越えようなんて思わず、できることを、ひとつずつ…。
参考までに、私の流産体験談を。
【妊娠9週目】
いつもの妊娠検査をするために、病院へ。体調は、あまり良くなかったけれど、妊娠しているから「少し気持ち悪いのは、当たり前かな…」と思っていたんです。
前回、妊娠検査に行ったのは、2週間前のこと。そのとき、産婦人科の先生に言われたのは、
ということ。
「排卵日の数え方が間違っているかもしれないので、次回来るときは、基礎体温票を持ってきてくださいね」と言われていました。
「赤ちゃんが小さい」と言われたことが気になりつつも、
を希望に、病院までの15分の道のりを、「大丈夫!大丈夫!」と自分に言い聞かせながら、向かいました。
でも…悪い予感が、的中してしまったんです。
診察がはじまった後、先生は、なかなか言葉を発してくれませんでした。
30秒くらいだったでしょうか。祈るような気持ちで、待ちつづけました。
やっと先生から、「前回よりは、大きくなっていますね。」と言ってもらえて、「本当ですか。よかった!」と思ったのも、束の間でした。
次に先生が言った言葉が、
「え・・・?」
すぐには、事態を把握できませんでした。
「心臓が動いていないということは、赤ちゃんは、もう死んじゃったってこと?どういうこと???」と考えているうちに、
「診察は終わりです。着替えて、椅子に座って下さいね。」
と、先生。
下着を履くのも、もどかしい気持ちの中、慌てて支度をして椅子に座ると、先生から
と、「流産」を遠回しに伝える説明が始まりました。
そのときの気持ちは、もうどう整理していいのか、わからない状態。
「手術の話は……、ちょっと、今は聞けない状態だと思うから、ご主人と相談してみてくださいね。では受付で。」
と最後に言われて、診察室を後にし、受付で会計を待つ時間は、それは、それは、長いものでした。
今日の診察は、なんとなく不安だったので、夫に付いてきてもらっていました。
診察室から出てきた私は、すでに、大粒の涙を流していました。そんな私を見て、何も言わずとも、夫は事態を理解してくれていました。それが、唯一の救いでした。
病院から家へと帰る時間が、とても、とても、長く感じられました…。
すこしずつ、「流産した」という現実を、理解しはじめながらも、
交互に繰り返しながら、
・歩いては、止まって…
・また歩いては、止まって…
を繰り返しながら、トボトボと歩きつづけました。
15分で帰れる道を、1時間くらいかかけて、帰ったように思います。
よくわからない気持ちを吐き出すために、思いっきり、泣きたかった。帰ってすぐに、夫に抱きついて、声をあげながら、泣きました。
とにかく、泣いて…泣いて…泣きつづけました…。
お昼ご飯の時間は、とうに過ぎていました。流産したとわかって、数時間後に食べたご飯。それは「出前のお寿司」でした。
つわりの間、ものすごく食べたくて仕方がなかったのが、妊婦は食べてはいけないと言われている
だったからです。
(私は、食べていないと気持ち悪くなる「食べづわり」でした。)
「食べちゃダメ」と思えば思うほど、食べたくなっていた「お寿司」。無事出産が終わったら、「お寿司を、ぜったいに食べに行こう!」と、楽しみにしていました。
まさか、こんなに早く食べられる時がくるとは、思いもしなかったけれど…、落ち込んだ気持ちを、なんとか元気づけたくなったんです。
そんな一心だったのでしょう。夫に、お寿司を注文してもらいました。
夫と2人で、黙々とお寿司を食べて…、お腹がいっぱいになって、気持ちが落ち着くと、すこしだけ、元気になったような気がしました。
でも…元気が出たと思ったのは、つかの間でした。思い出すと、自然に「涙」「涙」「涙」…。もう、止まらないんです…。
「何がツラいか」って…。おなかの中には、
それなのに、「息をしていない…」と考えると、胸が締めつけられるように、苦しくなりました。
「何にも考えたくない!」そう思って、しばらく寝ることにしました。でも、いろんな思いが交錯して、寝れない…。
そのときに、わいてきたのは、
「一刻も早く、立ち直りたい。」
という思いでした。
「手術は、明日でも大丈夫ですよ。」
そう先生が言っていたのを、思い出したからです。
翌日は仕事だったので、「明日はムリかな…」と思っていましたが、「この気持ちのまま、仕事をすることは無理だ」と限界を感じ、上司に電話をしました。
上司は「心と身体が大事だから、休んでいいよ」と、優しい言葉をかけてくれました。
すぐに、「明日、手術させてください」と病院に連絡をすると、「明日朝8時からの手術になるので、今から入院してください」と言われました。
気持ちの整理がつかないまま、すぐに支度を始めました。
なんだか、夢の中にいるかのような…不思議な感じでした。数時間前に「流産です」と言われた、悲しい気持ちがつまった病院へと向かいました。
診察終了ぎりぎりの時間だったので、着いてすぐに、同意書にサイン。「前処置」に入りました。
「前処置だから、痛みは大したことがないだろう」と安心していたのが、ビックリ!これが、なかなか痛かった…。
ただでさえ、気持ちがツライのに、さらにこんなに痛いなんて…
じんわりと、涙があふれてきました。
前処置をしてもらい、個室に案内されました。急な入院だったので、大部屋が空いていなかったんです。
個室だと「個室料金」がかかってしまいます。(私が入院した病院では「1日1万円」)でも、本当に個室でよかったと思います。
何といっても、
こと。
そして、消灯時間はあったものの、「個室なので大丈夫ですよ。」と言っていただいたので、夜もずっと、テレビと豆電気をつけていました。
暗くて、静かな部屋でいると、流産のことばかりを考えてしまい、気が滅入りそうだったので、ほんとうに救われました。
出費は痛かったですが、永い夜を少しでも安心して過ごすためと思えば、必要な出費だったように思います。
たった一晩の入院でしたが、いろんな思いが、頭をよぎりました。
流産と告げられてから、10時間たっても、いまだに整理できない気持ち。「なぜ?」が、あふれている心。
「どうにかして、受け入れられる方法が知りたい」と、ネット検索で「流産、体験談」…を調べつづけました。
検索している中で、私の心に、しっくりと響いてきた言葉。それは、
という言葉でした。
「これにしよう!」
「この言葉を信じよう!」
と、心に決めました。
普段から、「忘れ物」が多い私。私の子供となる赤ちゃんも、きっと私に似て、「おっちょこちょい」な赤ちゃんなんだろうなと思ったんです。
手術がはじまる1時間前、
を手紙に書きました。
もう息はしていないとはいえ、お腹の中にいる赤ちゃん。数時間後に離れなければいけないと思うと、すごく寂しかった。でも、手紙を書くことで、その寂しさがすこし癒されるような気がしました。
赤ちゃんへの手紙を、夫に見せながら、
と言うと、夫は、
と言われ、ハッとしたのを覚えています。
それから毎日、赤ちゃんがしっかりと、大切なものをポシェットにいれて、お空で待ってくれている様子を想像しています。
流産の手術は、あっという間でした。
手術室に入るときは、怖くてたまらなかったけれど…麻酔をすると、気がついたらもう終わっていました。
時間にして「15分」くらいだったと、後で聞きました。
麻酔が切れてからの30分が、ものすごく痛かった。でも、痛みはどんどんとひいていく。「今だけ」と思えば、耐えられないほどではありませんでした。
1時間後には、少し痛む程度まで回復しました。8時に手術をして、14時には、自宅に到着していました。
体の痛みは和らいでも、心の痛みは、そう簡単には回復しないですよね。
と思う気持ちと、
という気持ちが、行ったり来たり。
どうしたら前を向けるんだろう…必死に考えつづけた結果は、
今回の妊娠は
と思うことでした。
実は、流産は2回目だったんです。(1回目は子宮外妊娠)
1回目のときと、今回の妊娠。「別々の赤ちゃん」が来てくれたわけではなく、「同じ赤ちゃん」が来てくれたんだ!と思うことにしました。
今回も、赤ちゃんに会える日が、少し先になっただけ。赤ちゃんが、お空で「万全の体制」になったら、
と信じています。
手術から帰宅後、衝動的に、赤ちゃん関連のモノ(マタニティーマークや雑誌、写真など)を、目のつかないところに隠してしまっていました
でも、それを出してきて、玄関に飾ることにしました。すると、少しだけ安心できました。
というメッセージが、お空の上の赤ちゃんに、伝わるような気がしました。そして毎日、「〇〇ちゃん、おはよう。」と話しかけています。
仕事の復帰は、手術日も含めて「3日後」からでした。
妊娠してすぐの頃、つわりが重くなっていました。仕事に支障が出てしまいそうだったので、仕事量をすこし減らしてもらっていました。
その頃は、「産休」に入る前提で考えていた私。「流産」という結果になってしまった今、
という、不安な気持ちが入り混じりました。
不安だったからでしょうね。「せめて、もらっているお給料分は、働こう!」そんな気持ちで、必死だったように思います。仕事量は、以前よりも多くこなすようになりました。
家で1人でいるよりは、それで良かったのかもしれませんね。必死に仕事をしているときは、流産のことを忘れることができたから。
少し気を緩めると、自然と涙が出てきてしまう状態を乗り越えた後、「これではいけない!」と始めたのが、
「赤ちゃんに、早く戻ってきてもらう」
「赤ちゃんが、自慢できるママになる」
そのための「身体づくり」。
「冷え」は、妊娠に良くないからと、
妊娠するためには大切だと聞いて、
「自慢できるママになるために!」と、気をめいいっぱい張りながら、たくさんのことを一気に始めてしまいました。
でも、続いたのは1週間だけ。次第に、気力が途切れはじめ…。2週間後には、すべてやめてしまいました。
「前を向いて、歩いていける!」と思っていたのに…1週間経っても、2週間経っても、ツラいし、悲しい…。
「赤ちゃんは、戻ってきてくれるから!」と気持ちを整理したつもりだったのに…また、赤ちゃんから目を背けてしまいたくなりました。赤ちゃんの品を玄関に飾っていることが、「本当に正しいのか?」不安になってきたんです。
夫に相談すると、
「赤ちゃんから『目を背ける』ということは、ツラいことを、赤ちゃんのせいにしてしまっていることにならないかな?」
と言われました。
言われたときは、
と苛立ちを覚えました。でも、冷静になった今では、夫の気持ちもわかります。
流産から20日。完全に立ち直ることはできないけれど、それでも少しずつ前を向けるようになりました。
今でも、この記事を書いていると、
20日が「早いのか?」「遅いのか?」それはわからないけれど、
今は、それをくり返すしかないと思っています。
と、私は思っています。
運命という「波」には、誰も抵抗できないですよね。良い「波」が来ないときは、いざという時のために、準備するときなのかもしれませんね。
「うまくいかない」ときだってある。
「悪いことがつづく」ときだってある。
でも、それは、
信じて、待ちましょう!
必ず「わたしの波」が来るはずですから!
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